1986年
| スタッフ |
部長 |
戸谷重雄 |
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監督 |
上野善 |
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コーチ |
宮澤洋一 |
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コーチ |
米本篤弘 |
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チームドクター |
渡辺真純 |
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チームドクター |
多田羅恒雄 |
| 学生スタッフ |
主将 |
荻野雅宏 |
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副将 |
成田昌弘 |
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副将 |
渡辺宏治 |
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主務 |
澤藤誠 |
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| 春のオープン戦 |
結果 |
対戦校 |
| 5/25 |
●14-36 |
埼玉医大 |
| 6/1 |
●12-14 |
日大歯 |
| 6/8 |
●14-32 |
鶴見歯 |
| 公式戦戦歴 4勝1敗 1部2位 |
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鶴見歯 |
埼玉医 |
城西歯 |
聖マリ |
日大歯 |
慶應医 |
| 鶴見歯 |
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●6-20 |
○20-0 |
●12-16 |
●0-12 |
●6-8 |
| 埼玉医 |
○20-6 |
|
○30-6 |
○22-14 |
○44-0 |
●8-16 |
| 城西歯 |
●0-22 |
●6-30 |
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△14-14 |
●0-6 |
●0-26 |
| 聖マリ |
○16-12 |
●14-22 |
△14-14 |
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●16-22 |
●6-14 |
| 日大歯 |
○12-0 |
●0-44 |
○6-0 |
○22-16 |
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○18-14 |
| 慶應医 |
○8-6 |
○16-8 |
○26-0 |
○14-6 |
●14-18 |
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昭和61年4月
アメフト部に8人の新入部員が入る。部の雰囲気はとても明るく、先輩方は我々にとっても親切だった。新歓コンパは大荒れで、新入生の殆どがつぶれてしまった。
5月・6月
この頃になると、予科1も、上級生と殆ど同じ練習内容をこなすようになるが、メットやショルダーが妙に重い。当る練習もかなりあり、毎日首が痛い。また5月には、アメフト部を含め、数多くの部で タ ゙ ン ハ ゚が行われた。この頃から島崎が「ダンパの帝王」と異名をとるようになる。
さて、この年は、我がアメフト部が初めて1部リーグ入りした年だった。春のオープン戦は、全て1部のチームと対戦したが、結果は惨脩たるものだった。アメフトの細かい事はまだ分らなかったが、1部校の強さを予科1なりに実感したものだ。しかし、先輩方の気迫溢れるプレーぶりは印象的で、真剣にフットボールに取り組む姿は素晴らしいと思った。
8月
蓼科高原で合宿が行われた。2日目に台風が長野を直撃した。しかし、台風などおかまいなしに午後の練習が続く。どしゃ降りの中のチョーセンチヤージは今でも心に残る。苦しくて、朝から晩までアメフト漬けの合宿だったが、これを乗り切ったことは大きな自信となった。最終日に同じ長野で合宿をしていた慈恵大医大と試合を行い、慶応が快勝する。この試合が秋のシーズンヘの勢いになったように思う。
9月,10月
残暑の中、8月下旬から練習を再開した。次第に秋のシーズンが近づき、練習も実戦味を帯びてくる。9月の中頃には、山中湖で電通と練習試合を行い、これに快勝した。そして9月の下旬に、ついに秋のシーズンが始まった。初戦で、前年度優勝校の鶴見大(歯)に辛勝し、慶応の快進撃が始まった。2戦目に城西(歯)を破った後、この年に段違いの強さを見せていた埼玉医大と対戦した。慶応は劣勢を予想されたが、序盤から勢いに乗りTDを連取、後半の埼玉の追い上げを振り切って勝ってしまった。慶応の気迫の勝利だった。この試合で誰もが優勝したと思ったが、結局次の日大(歯)に足元をすくわれ、優勝を逃してしまった。
結果は、4勝1敗で2位に甘んじたが、我々にとっては非常に心に残るシーズンとなった。優勝はできなかったが、それ以上に、春にあれだけ弱かった慶応を、ここまで引っ張った先輩方の努力は本当に凄いと思った。5試合とも、素晴らしい試合で、このような試合ができる我がチームを誇りに思った。そして、私達も、このような素晴らしい試合を、後輩達に見せたいと思った。とにかく、アメフトを好きになった一年だった。
またこの年のMVPは、第1戦での骨折をおして頑張ったQB成田に与えられた。(伊藤記)