2000年
2000年アメフト部の記録85回生奥野祐次
春
この年のアメフト部の新入生勧誘は前年のようにはうまくいかず、伏屋、伊藤を獲得した後は停滞していた。
僕はすでにサッカー部に入部しており、アメフトは入る気もなくスポーツ自体よく知らなかった。高校の先輩だが当時はほとんど見識のなかった久本さんから勧誘時期の終盤になって「お前アメフトに興味あるらしいじゃん。今度の練習来いよ」という身に覚えのないオレオレ詐欺的な勧誘電話を受けて練習を見学することになった。
ゴールデンウィークど真ん中に行われた日吉グランドでの練習が初めて参加したアメフト部の練習であった。飯塚主将のもと8人くらいの男子が動き回り、練習が終わるころには、この頃から始まっていた飯塚主将の脳震盪癖によって救急車が到着していた。なぜかこの練習を見てアメフト部に興味を持った僕はサッカー部との兼部を始め、過去に兼部経験のある田中さんを始め先輩の方々の勧誘していただきアメフト部に入部した。
伊藤、奥野、伏屋の3人が部員として入部し、青山、飯田、栗木の3人がマネージャーとして入部した。
春のオープン戦は慈恵と東医とやり、東医には勝ったが慈恵には敗れた。
夏
「とりかご」を失っていたアメフト部は昼間の日吉グランドで夏練をした。飯塚さんは脳震盪癖が治らないまま練習しており、自分のポジションであるDEの名前が思い出せず「はじっこ」と言っていた。
飯綱高原での1週間の夏合宿は過酷だったと記憶している。初日から杏林大学とスクリメージをやり、学3QBの松村さんが怪我をしてしまった。(アメフト部的に)学4の秋田さんは春に全塾アメフト部の練習にフルで参加していたが、夏は戻ってきて合宿も全参加していた。同じく学4の小黒さんは合宿までの練習には参加してくださり、いろいろと教えていただいたが、合宿中は旅行先のハワイから合宿所に絵葉書を送ってくださった。飯塚さんは脳震盪癖が問題となり、練習をさせない方がいいということでメットを隠されていた。飯塚さんのメットは1週間僕のショルダーバッグの中にあり、見つかったら怒られるんじゃないかと内心不安だった。
秋
怪我をしていた松村さんも復活し秋のシーズンに向けて準備が整ってきた。
だが東海大学とのオープン戦で斉藤さんが膝を怪我してしまいシーズン直前で試合出場不可能となってしまった。
シーズン初戦は東医戦だった。オープン戦では大勝していたが前年と前々年ともに初戦で敗れていたため気の抜けないムードだった。試合結果は慶応の圧勝に終わった。ラインは押しまくり、秋田さんは走りまくり、小黒さんや久本さんへのパスもたくさん決まっていた。ディフェンスもインターセプトなどでターンオーバーを繰り返し、相手のオフェンスを0点に抑えていた。慶応は強いと勧誘時にきかされていたが本当にそうなのだと思った。
第2戦の相手となった帝京は元々Veer体型だったようだが慶応との試合の前にRBの一人が怪我をして、強豪「ゆかり」のみを片方のハーフバックに置いたよくわからないフォーメーションをしていた。DE加藤さんのインターセプトタッチダウンという強運プレーも飛び出したこの試合も慶応の圧勝となった(この試合で運気を使い果たした加藤さんは翌年に2度目の予科2を経験することになる)。ディフェンスはこの試合も0に抑えていた。
第3戦の独協戦も圧勝0封で制した慶応は因縁の松戸歯科との最終戦に向けて気持ちを高めていた。
「とりかご」がなかったため平日は三田にある綱町グランドで練習し、雨だと綱町も使えないためショルダーを自分で運んで信濃町の真っ暗な公園で練習した。日曜日は朝早くから三田に行ってショルダーを自分で持ち、東横線で新丸子の多摩川河川敷にあるグランドへと向かった。幹部の方々は何とか練習場所を確保して松戸歯科との試合の準備を進めていた。松戸歯学部は因縁の相手だと先輩方は口を揃えて言っていた。僕は因縁は知らなかったが松戸という強そうな相手に勝って、さいたまスーパーアリーナというカッコよさそうな名前の場所で行われる優勝決定戦に出てみたいと思った。
最終戦となった松戸歯学部との試合は松戸グランドで行われた。今までのチームと違い慶応の倍以上いる相手チームの人数に驚いた。相手はオフェンス体型もディフェンス体型も今までと変えてきていた。前半にフレックスボーンに急変した松戸オフェンスのRBに独走を許しTDされた。この年のシーズン初めての失点だった。オフェンスは中々思うように出なかった。後半にさらに1本TDを追加された。終了間際に小黒さんへのパスで1本返したものの2ポイントコンバージョンやオンサイドは成功せずそのまま試合終了となってしまった。試合後の先輩方の顔が忘れられない。
つらかった予科1としての1年が終わり、やっと下っ端生活から開放されると思っていたが実際には翌年の新入生は一人も入らず、この後伏屋が記録する「根もやん独裁政権」が待ち受けていた。
|
|
医科歯科リーグ1部Aブロック
医科歯科1A | 松戸歯 | 慶應医 | 帝京医 | 東医大 | 獨医大 | 勝・負・分 | 順位 | 勝点 |
日大松戸歯学 | ----- | 14○6 | 1○0 | 20○0 | 7○0 | 4-0-0 | 1 | 12 |
慶應大医学部 | 6●14 | ----- | 32○0 | 35○0 | 41○0 | 3-1-0 | 2 | 9 |
帝京大医学部 | 0●1 | 0●32 | ----- | 3●6 | 13△13 | 0-3-1 | 4 | 1 |
東京医科大学 | 0●20 | 0●35 | 6○3 | ----- | 19○6 | 2-2-0 | 3 | 6 |
獨協医科大学 | 0●7 | 0●41 | 13△13 | 6●19 | ----- | 0-3-1 | 4 | 1 |
・6/4対慈恵戦13-21にて敗戦。
・6/18対東医戦(スクリメージ)4-0で一応優勢勝ち
2000年8/1710時30分に島崎と須田君と待ち合わせて、1988年の予科1合宿以来12年ぶりに飯綱高原に向けて意気揚々と出発しましたが、私が道に迷い、中央道の事故渋滞に巻き込まれ、6時間かかって、到着したときには午後練の整理体操中でした。トホホホ.....
学生は意外と元気で、少ない人数ながらいい練習ができていました。特に、須田君には、秋田の暴言にもめげずに、ファンダメンタル面についてきちんと指導をやってもらってとっても感謝でした。
私はといえば、できることはラインの指導くらいですが、恒例のオンスーツでまたやってしまいました。島崎は大人だから、ショルダーをもってこなかったけど、はっきりいって後悔していました。というわけでこの原稿を書いている月曜日は朝起きるのがつらくて、ロキソニンを常用中です。今年のラインは昨年の予科1くん達が成長しており、人数的にもやっとそろいつつあるといった感じで、さらに今年の予科1くんもかなりいい素材がそろっており、ライン王朝の復活の日は近いようです。
直前に日程が変わった関係で、今年の合宿参加者は、米本さん、小布施さん、真純さん、大山、島崎、片山、素行、須田君、(田中謙二)で、例年より少なかったようですが、少なくとも宮越、土橋、斉藤、井口、等々参加する予定が日程が変わった為不参加になってしまったOBもたくさんいたようです。
年に一回くらいはオンスーツになって思い切り叫んで、少しだけ学生とあたるととっても元気になりますよ。来年は是非皆様よろしく。8月の第3週の週末はあけといてね。
追伸夜は恒例の激しい飲み会になりましたが、昨年に続いて米本さんがつくってくれた蕎麦がとってもおいしゅうございました。(今年はバッタを食わされなくて良かった良かった。)
田中謙二からの追記
MVPと新人賞ですが、MVPは予科2斉藤、新人賞は伏屋としました。どんなトラブルがあっても練習、試合から外れなかったというのを一番重視しました。予科2斉藤は昨年の新人賞に続く受賞ですが、これを契機にもっともっと鍛えてあげてください。バックス系の新人である奥野もWR, RBとしてアピール度満点だったのですが、楽しくても辛くても表情一つ変えずに淡々と練習に食らいついていく伏屋を新人賞にしました。あまりの無表情さに、小布施さんが「あいつ、本当は帰りたくて仕方ないのかな?」とかなり心配していましたが。また、レシーバーの練習が不足したまま夏合宿を終えるかたちになりましたが、収穫もありました。それは予科2久本の台頭です。是非、試合会場で見て欲しい選手の一人です。今年から学2小田がコーチとしてチームに復帰しました。彼の機敏な行動、気配りは見ているものに清々しさを与えます。彼のおかげで、チーム運営の隙間を埋めることが出来るようになったと思います。22人で練習をすることが出来ないチームは、全体の流れを肌で感じて欲しい練習、すなわちキッキングやスペシャルプレイの練習を十分に行うことが出来ません。その分、例年以上に1対1の練習が出来たのでは無いかと思います。実際、昨年よりも「あたり」に強くなった印象を受けます。最後に、学4としてbeforeからDeathまでフル参加を果たした秋田を誉めたいと思います。
今年も潮来の先、遠い遠い利根川河口で秋合宿がありました。小黒もアメリカ留学より帰国して、やっと部員全員がそろって、最終調整の合宿に望みました。相変わらず予科1くん達も元気で、雨にもたたられましたが充実した練習ができました。今年は、けが人もなく、部員数の減少にも歯止めがかかりかなり戦力的には充実していると思います。QBも3年目を迎えました。
OBも片山監督、山田素行助監督はもちろんのこと、渡辺真純さん、土橋、山田深、大塚等々遠方より大勢が駆けつけてくれました。もう緒戦まで2週間です。今年こそ緒戦勝利を収め、その勢いで念願のリーグ優勝といきたいものです。
それにしても、高橋尚子のマラソンはすごかった。
日時 |
対戦相手
|
開始時間
|
場所
|
結果 |
10/8(日) |
東京医科 |
11時 |
日大松戸歯学部松戸グランド |
35-0 |
10/29(日) |
帝京大医学部 |
11時 |
日本歯科大東小金井グランド | 32-0 |
11/5(日) |
獨協医科大 |
11時 |
日大松戸歯学部松戸グランド |
41-0 |
11/19(日) |
日大松戸歯学部 |
13時30分 |
日大松戸歯学部松戸グランド |
6-14 |
1Q、慶腰のキックオフカバーで試合が始まり、東医2プレイめの攻撃をILB秋田がインターセプトしました。そして、次の攻撃でダイブを軸に前進し、WR小黒が18ヤードのタッチダウンパスをキャッチし、先制しました。続く東医の攻撃でも予科2CB小島がインターセプトしました。2Qでは、カウンターでロングゲインを連発し、RB秋田がリードオプションから36ヤードのタッチダウンランをきめました。後半は、こちらにも負傷者がでて、予科1が入るなどメンバーとしては、ぎりぎりの状態でしたが、予科2の活躍が目立ち、東医にファーストダウンを与えず、攻撃でもさらに3TDを獲りました。トータルでは総獲得ヤードが346ヤード、総喪失ヤードが39ヤードとなりました。次の試合は、10月29日の帝京医戦です。練習は、試合まで3週間空くためにこの2週間は長い距離を走り、もう一度スタミナをつけ、後半、走り勝てるようにしていきます。
帝京医戦の結果
獨協医戦の結果
11月5日の独協医科大学戦の結果についてご報告いたします。前半・ダイブを中心に攻め、3本のタッチダウンを奪いました。独協もインサイドのプレーを軸に攻めてきましたが、DL,ILBがしっかり止めました。後半も3つタッチダウンを奪いました。しかし、独協にオープンヘのランプレーでロングゲインをゆるすことが幾度かあり、最終戦に向け、課題を残しました。また、試合をとおして、オフェンスで、アサイメントやプレーのミスが目立ち、結果ほど良い内容ではなく、集中力の欠如など、反省すべき点が数多くあります。現在・我がアメフト部は、3勝0敗で、日大松戸歯学部と並んでいます。11月19日の最終戦で勝つと、埼玉スーパーアリーナで1部優勝決定戦に進出することになります。最終戦は、今年度、練習してきたことすべてを出し切り、絶対に勝つつもりで臨みます。
11月19日の日大松戸歯学部との試合結果についてご報告します。
我がアメフト部は関東医科歯科リーグ1部Aブロックにおいて、3試合終えた時点で、3連勝し、日大松戸歯学部と並び、最終戦に勝ったほうが決勝戦に進出することになっていました。結果は、残念ながら、6-14で負けました。それまでの得失点差では圧倒的に勝っていましたが、松戸のスピードとよく訓練されたテクニックに終始圧倒されてしまいました。この試合の慶應のタッチダウンは学4の小黒のパスキャッチによるもので、ほかにもスペシャルプレーでロングゲインするなど、チームの柱の一人として、松戸に封じられてきたオフェンスの突破口を作りました。
この試合をもちまして、今シーズンの公式戦は終了となりました。最終戦で敗北してしまいましたが、今シーズンここまでこれたのは、学4の秋田、小黒の力に依るところが大きいように思います。来年以降、戦力的にはさらに厳しいものになると思いますが、今回の敗北の悔しさを忘れず、来シーズンは今年以上に強いチームを作っていこうと思っています。最後に、合宿などにきていただき、チームを指導、サポートしてくださった皆様に部員一同よりお礼申し上げます。
松戸歯科戦まで無失点で快進撃を続けてまいりましたが、残念ながら松戸歯戦の敗退で2000年シーズンは終了しました。ちなみに松戸歯は,12/3優勝決定戦で17-7で慈恵医科を破り今年も医科歯科リーグ優勝を達成しました。豊富な部員数とそれに支えられた豊富な練習量に裏打ちされた松戸歯は、スピード・パワーに関しては慶応医を上回っており、あらためてそのことを痛感させられた試合でした。今にしてみればベンチワークにも心残りがありますが、これはこれで至極順当な結果だと思います。現役の頃から数えるともう15年以上関東医科歯科リーグをみていますが、かつての埼玉医大、東大医、今の松戸歯科のように常にリーグをリードする、そして目標にできるチームがあってそれに対する挑戦心で慶応医は戦ってきました。今年のシーズンは終わってしまいましたが、きっといつの日かまた常勝チームとして慶応医が復活し、今の松戸歯科を越えるチームになるものと信じています。やっぱり、もっと部員数が増えて、グランドができないとしょうがないけどね!!
2000年度連絡事項
・2001年1月27日に明治記念館にてOB総会並びに20周年記念式典開催いたします。
日時:2001年1月27日午後5時よりOB総会(明治記念館内別室)。引き続いて、午後5時30分より2000年度納会兼20周年記念式典。
・OB総会議題
1承認事項2000年度OB会計・2001年度スタッフ人事
2周知事項夏合宿・OB総会の日程固定・ゲームドクターの登録
3討議事項OB会費自動引き落としの可否
・2000秋の公式戦
1部Aブロック松戸歯科・慶応医・帝京医・東京医・獨協医
1部Bブロック明海医・慈恵・聖マ医・鶴見歯・東邦医
・秋合宿の案内
9月23,24日の秋合宿は去年まで使っていた中村旅館が休業中のため、その近くの鈴屋旅館に決まりました。
鈴屋旅館茨城県鹿島郡神栖町知手3259−9電話番号0299−97−0681
・2000年夏合宿
当初の予定では慶應蓼科山荘・山中湖の本塾の合宿所の予定でしたが、他校とのスクリメージ等が組みやすいアメフトのメッカの戸隠高原にて行うことになりました。しかしながら、現状では対戦校も決まっておらず、宿舎も申し込み中で正式には決まっておりません。今年もOBのみなさまのご協力が不可欠です。誘い合って是非ご参加下さい。
期間8/16(水)〜8/23(水)宿泊場所若林荘、一泊6300円
地図は、http://hotel.aska.or.jp/HOTEL/3108/3108map.gif(大座法師池の近く、飯綱高原スキー場のちかく)
・ゲームドクターのお願い
2000年度の秋のリーグ戦の日程が決まり、今年も9/2より関東大学アメリカンフットボールリーグ戦が始まります。それに先立ち8/7にゲームドクターのアサイメント会議があります。昨年に引き続き、ゲームドクターをOB会として何試合か引き受けようと考えています。昨年は渡辺正純先生や、畔柳裕二君や整形外科、脳神経外科の先生方にご協力をいただきました。
特に栃木や埼玉などの地方会場でのゲームドクターの手配が難航するようです。地方在住のOBの先生に相談が行くと思いますが、よろしくご協力下さい。なお、ゲームドクターにはちゃんとした報酬があります。OB会費にもあてることができますのでよろしくお願いします。ゲームドクターについてのお問い合わせは大山まで。